文法や発音などお構いなしのノンネイティブ英語

 以前、ニューヨークで、タクシーに乗った際のことです。運転手は、中東やインド出身の方が多いようで、彼らの英語は、不正確な発音や文法が多く、会話をするのにとても苦労しました。しかし、彼はお構いなしに饒舌にしゃべってきます。何度も行き先の場所を伝え、事なきを得たという記憶があります。パリでタクシーに乗った時にも、やはり運転手の英語はほとんど分かりませんでした。ただ、陽気で面白いおじさんで、英語はよく通じなかったけど、楽しかったということは覚えています。

 仕事でお付き合いのあったイタリア人たちの英語もわかりにくいものでした。彼らは、言葉の端々や語尾に、「カッ、カッ、カッ」とか「ティ、ティ、ティ」といった、ラジオや電話の雑音のような声を発するのです。これは、特定の人の個人的な癖ではなく、多くのイタリアの方々も同様でした。ある人は、発言の途中に、「サッ」という 雑音を入れてきます。

 例えば、You must “サッ”go to tax office “サッ”to ask local law “サッ”.(あなたは税務署に行って法律を尋ねに行かねばならない)、といった具合いです。この耳障りな雑音を気にすると、会話に集中できません。また、感情的になってくると、早口で喋り、こちらが何か言おうとしても、話をストップしてくれません。もちろん発音や文法も、そうしたときは、特に、めちゃくちゃに聞こえます。しかし、彼らはそんなことはお構いなしです。

 アメリカに駐在員として勤務していた時のことです。当時、日本のグループ会社全体で始めていたTPMという改善活動を広げるために、1人の日本人の社外コンサルタントが日本から訪れてきました。彼は3日間ほど滞在し、最初の2日間に、工場の現場を回り、問題点や改善活動のヒアリングを行い、そして、最終日に、マネージャーやエグゼクティブのメンバーに対して、プレゼンテーションを行いました。私にとって、その時のことはとても印象深いものでした。

 彼は、まだ20代で若く、海外経験もあまり少なく、英語も上手ではありませんでした。しかし、熱心に、何とか単語を探して、説明しようとします。一言一言の間が詰まったり、途中で沈黙があったりと流暢には進みません。しかし、アメリカ人たちは、自分たちの会社を良くしようと思って、わざわざ日本から来てくれた彼の一生懸命な英語に耳を傾けていました。私も彼の話を聞いていて、 英語はあまり上手くないと思いましたが、熱意と、何とか皆さんに伝えたいという気持ちは十分に伝わってきました。

 日本人は、どうしても間違いを犯したくないという思いが強く、正しい文法や、正しい発音で英語で話そうと意識するがあまりに、結果的に、外国人の集団の中では無口になる場面が多いように思います。また、プレゼンテーションにおいても、原稿や文字の多いスライドを、ただ読むだけになってしまいがちです。

 しかし、冒頭で述べたニューヨークのタクシーの運転手のように、海外の人々は、必要があれば、とにかく話しかけてきます。 また、私の仕事の経験上、イタリア人、中国人、香港人なども、何らお構いなしに、自分たちの英語を話してきます。 そして、繰り返しますが、彼らの英語は、決して上手とは言えない発音や間違った文法ばかりでした。

 発音や文法が正しく、流暢にプレゼンテーションをするに越した事は無いのですが、それよりも、その人の情熱や、あるいは、堂々と自分の主張する心の強さ、といったものが、集団の中で無口になりがちな、私たち日本人にとって最も大切なことです。英語は、もはや、世界中で使用されており、アメリカの英語が世界基準であるとは言えなくなってきています。日本人が日本人の訛りで英語を堂々と話しても、それはそれで良いのではないかと考えています。大切な事は、主張したい事はきちんと主張する、とにかく伝えるという強い気持ちなのです。

コメントを残す