メタレベルの考えは普段でも使える

「メタレベル」と言うと、なんだか難しい言葉のような気がします。スポーツ選手は、自分のその日のトレーニングの状況やパフォーマンスについて、日誌を書く人が多いようです。その日誌の書き方ですが、「メタ認知」といった観点で書くように言われています。つまり、メタレベルも、メタ認知も同じような意味で、自分を客観的に見て、第三者として主観を入れずに評価をしてみることが重要です。

このメタレベルという言葉は、「異文化コミュニケーション研究」の世界においてよく出てきます。「異文化コミュニケーション研究」においては、日本人である私たちは、日本文化を基準として、物事を判断し比較します。

ところが、相手方の文化の方々は、彼らが持っている文化を基準に比較して判断してきます。そうであると、双方が比較する上で、どちらがどの程度であるかがよくわからなくなります。そこで、メタレベルという観点が用いられ、自分があたかも日本人じゃない、客観的な立場として、日本の文化、諸外国の文化等を比較していくと言う考え方なのです。

そうした考え方をもとにすると、例えば、自分たちがなぜお辞儀をしているのか、日本は年末にカレンダー配りがあって当たり前ですが、他の国では配っていないとか、夏と冬にボーナスがありますが他の国々ではないなど、があります。つまり、普段自分たちが当たり前のように行っていることや見ていることが、メタレベルで見れば極めて特殊である、ということになるのです。

こうしたメタレベルによる認知の仕方は、異文化コミュニケーションのみならず、物事を評価するときに役立つ考え方だと思っています。つまり、会社の中、世間一般といった当たり前の枠組みを取り外して、客観的に見て、本当にそれでいいのかということをチェックするのに役立ちます。全く客観的な立場から、それを評価することができるのです。

ですから、私が何かを提案するときにも、こうしたメタレベルの考えにいったん入って、その提案を評価するようにしています。結果的に、会社の慣習や日本の世間一般のやり方に従うことになったとしても、俯瞰的な目で見て評価することは、特に未来を予想するのに役立ちます。

今、このシステムを導入しても、5年後には、新たな技術に置き換わるだろうし、こうした作業自体も無くなるだろう、とか、そもそもこうした提案は、今の会社の状況であるから許されるのであって、他社や外国の異文化の環境下では、ここまでやる必要は本当はないはずだ、といったことを考察できます。それらは、将来的な不測の事態が起きたときに、自分自身の考えの備えとして役立つのです。つまり、そもそも何なんだ、と言うことを認識しているからなのです。

私たちは、私が生まれ育った文化や、考え方に強く影響されています。また、会社組織で働く場合は、その会社が持つ固有の風土、考え方にも強く影響されます。メタレベルで、俯瞰的に見てみて考えることを自分の習慣とすれば、「物事がそもそも何なのか」、と言うことを改めて考え、自分の考えのストックができて余裕を持つことができます。こうした余裕と備えがあれば、リーダーとして、メンバーを導くために一歩先に出ることができるのです。また、相手の立場を分析するのにも役立ち、海外の異文化の方々とのコミュニケーションでも活用できるのです。

 

 

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