How are you doing? の返事は必ず Good!

私が中学校の時に習った英語では、最初の挨拶は”How are you ?” でした。しかし、実際にアメリカに行くとみんな” How are you doing?” と言っているのです。そして、その返事も、中学校の時に習ったのは、” I’m fine, thank you and how are you ?” でしたが、これもアメリカでは、返事は必ず” Good” です。

最初は、”How are you doing?” と聞かれた時に、「あなたはどうやってしてるの?」みたいな意味に聞こえて、少々違和感がありましたが、すぐにそれは挨拶だとわかりました。

ある時、耳の調子が悪く、中耳炎になって耳がひどく痛くて病院に行きました。実は、中耳炎になった原因は、アメリカの綿棒でした。アメリカの綿棒は日本のものよりも一回り大きく、それで耳の掃除をしていましたが、どうも耳の中を傷つけてしまったようでした。

その傷に菌が入り化膿したのです。病院を探して、耳鼻科に行きました。ちなみに、その時に初めて知ったのですが、アメリカでの耳鼻科はENTと言って、Ear, Nose, and Throatの略だそうです。その病院では、まず、レセプションで、診察の手続きをします。そして、レセプションの女性から、”How are you doing?”と聞かれたのです。

私は耳が痛くてたまらなかったので正直、”Good”なんて言えない気分でした。なんと言ったらいいんだろう、と思いましたが、とりあえず、小さな声で、”Good”と答えてやり過ごしました。その後、トルコ系かインド系だと思うのですが、変わった名前の優しいお医者さんに診察を受けて、抗生物質を処方してもらいました。

翌日は、薬が効いたおかげで少し痛みが和らぎました。しかし、あんなに耳が痛かったのに、私に、”How are you doing?”と言ってきたレセプションの女性に対して、私が”Good”と答えたのは、どうも納得がいかず、モヤモヤしていました。

当時、R&Dのディレクターをしていたリック・ケリーさんとその日に打ち合わせがありました。会社は若い社員が多い中で、彼は非常に落ち着いて話をする知性派の年配の社員でした。打ち合わせが終わり、私は、昨日の話を彼にしました。

つまり、「私は、耳が痛くて中耳炎になって、病院に行ったが、受付で”How are you doing ?”と挨拶されて、どう答えていいか分からなかったが、とりあえず、”Good”と答えた、とても耳が痛かったのに、その時に、goodと答えたことに疑問を感じた、本当は違う言い方の方が良いのではないか」と伝えたのです。

そして、調子がよくない時は、” I am not fine”, とか、” Not good ”とか言っても良いのかどうかと質問しました。すると、彼は15秒くらい沈黙したあとに、「うん、それはGoodでいいんだよ。挨拶とか習慣みたいなものだから、あまり意味がないんだ。”Good”って答えるんだよ。そんなもんなんだ、あまり深く考えることもないから・・」と話をしてくれました。

私はそれでも納得いかず、食らいついていき、ほんとに体調が悪くてひどい時もそう答えるのか、と聞いたところ、彼は「そうなんだ、そんなもんなんだよ」と。そんなことどうでもいい、という態度で答えました。

確かに、 習慣として挨拶をしているアメリカ人にとっては、”How are you doing ?”の返事なんて”Good”に決まっていて、そんなことなんかどうでもいいと思ったのでしょう。私は、単なる挨拶の言葉として解釈して、「まぁ具合が悪いなりにも、何とかうまくやってるよ」といった意味合いで、返事は、”Good”でもいいんだと自分の中では解釈しました。それからは、あまり 意識せずに、”How are you doing ?”と言ってきたら”good”とさらりと答えるようにするようにしました。

そういえば、同じようなこともありました。中国では、挨拶がわりに、「你吃飯了嗎?(ご飯食べた?)」とよく言います。これも挨拶の言葉だと思います。私は、いたずら心が芽生えて、友人に質問をしました。もし、レストランからあなたの友達が出てきたら、その時も、你吃飯了嗎?(ご飯食べた?)と挨拶するんですか?と。彼は苦笑いしながら、「もちろんその時はそんな事は言わないよ」と言いました。

自分では気がつかなくても、日本でもいろいろな言葉が習慣として使われているのではないでしょうか。例えば、日本語でも、さして特別に何かお世話をした覚えもないのに、メールの冒頭には、なぜか、「お世話になっております」と書いてあります。それに対して、「いえいえ、私はあなたに何かお世話をした覚えはありません。」といった返事はしません。これも、似たような習慣となっている挨拶ではないでしょうか。

使う場面によって言葉は意味が変わったり、習慣になっているフレーズは、私たちも言葉の意味を深く考えないで使っています。外国人としてその国の言葉を学ぶ時に、最初に苦労するところだと思います。

 

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