自分の熱をその人の心の中へ伝える

■王先生

1994年の7月のことです。当時、私は中国蘇州市の工場建設プロジェクトで、最初の赴任メンバーでした。現地法人の社長と私の2人で工場建設のために政府との交渉や社員採用などを行っていました。

5月に初めて中国へ行き、その2ヶ月半後に、日本の本社から、「幕張で中国語の研修があるから行ってきてください」と言われ、蘇州から成田へ飛んで、2週間のその研修に参加しました。

中国語の研修ですから、当時、中国へのこれから投資を行おうとしている会社から20名ほどの参加の方がいました。

授業は最初の1週間が、女性の先生で教科書に沿って丁寧に文法やピン音や四声の発音を教えてくれました。そして、2週間目の先生は、王さんとう男性で、当時、NHKの教育テレビに出ていらっしゃる方でした。

この方の授業の進め方があまりにも強烈で、私は、その後、中国、アメリカで日本語教室をするときに、その先生のやり方を大いに活用させてもらいました。

王先生は、最初教室に入って来るなり、全く日本語を話さず、全て中国語で語りかけてきました。「元気ですか ? (你好吗?)」「あなたの名前は何ですか?(您贵姓?)」とか「中国語の勉強は難しいですか?どうですか?(学中文难吗?你觉得怎么样?)」といきなり話しかけてくるのです。

びっくりしたのは生徒たちです。いきなり中国語で質問が個人個人に矢継ぎ早に来るので、なかなか答えられません。ただ、何度も何度も質問をして、ジェスチャーを交え、黒板に漢字で文字を書いて何とかわかってもらおうとするのです。

そして私たちは、それらを見て何となく意味がわかり回答を中国語でするのです。そして、何とか答えると必ず素晴らしい!(非常好!)と褒めていただきました。

王先生は、 しばらく中国語で話した後に、流暢な日本語で、「あなたたちはもう既に 1週間も中国語を勉強しています。できないはずがありません。皆さんとても上手です。 すばらしいです。だから私は中国語で皆さんに話をします。」と 日本語でおっしゃってくれました。

この調子で授業が続くものですから、1時間の授業中は全員が緊張感を切らさず全力集中です。そして、授業が終わると、エクササイズをした後のような、とても心地よい疲労感を覚えた記憶がありました。

とにかく存在感とパワーがあり、相手の懐に入ってくるような話し方で、中国語でどんどん話しかけてきます。たとえ、たどたどしい中国語でも、私たちが何とか回答をすると、必ず、「素晴らしい、很好」と褒めてくださいます。こうした授業ですから、頭の中は中国語でいっぱいになり、自然と予習や復習に熱が入るのです。

この教え方は、これまで語学学習をした中で、最も集中力を高めて、会話を実践できる効果的な語学の学習方法でした。また、学習に対する意欲も非常に高まるものだと思います。中国語を学習しようとする意欲が高まるのは、王先生の相手の懐に入ってくる話し方や、情熱ある伝え方が私の心に響き、その後の学習意欲を高めたと思っています。

■中国で日本語教室

私は、その後、中国に戻り、社員も増えてきた中で、定期的に中国人に対して日本語を教える機会がありました。生徒は20人とか30人とかいるのですが、王先生と同じ方法で、教室に入るなりいきなり大きな声で、「おはようございます」と一人ひとりに話かけていきます。生徒は戸惑った様子をしますが、私が元気よく何度も「おはようございます」と言うと、「おはようございます」と返してくれるようになります。

同じように、自己紹介も 日本語で、「私の名前は〇〇です」と黒板に書いて、それを指しながら、自分で「私の名前は黒木です」と言います。そして、その後に、一人ひとりに自己紹介をしてもらいます。王先生のようなパワーと存在感は無いかもしれませんが、私もできる限りのエネルギーを使って、心の底からその人の中に入っていく気持ちで教えるようにしました。そして、45分の授業が終わると、必ず全員立ち上がって拍手をしてくれたものです。

■アメリカ人が「おはようございます」と挨拶

同じようにアメリカでも日本語教室をやりました。アメリカではいろいろな事情があって、着任まもない私がいじめのような形になってしまい、仕事が全くなく、仕方なく日本語教室を始めたという経緯がありました。

しかし、集まってくれた6人のメンバーは意欲あるマネージャーばかりでした。王先生と同じやり方で、いきなり日本語で日本語を教える方法でチャレンジしました。同じように、「おはようございます」「私の名前は・・」とか、「私の仕事は・・」ということを、ホワイトボードにローマ字で書きながら、ジェスチャーや声のトーンを変えたりして、一人一人に語りかけるように教えました。

私の情熱が伝わったのか、日本語教室は、大人気となり、私以外の日本人赴任者にも協力してもらい、その後、何回も続くことになりました。

半年もすると、自分が学んだ日本語を使いたいのか、現場の社員もオフィスのスタッフも全員が「おはようございます」と日本語で挨拶をするようになりました。日本の子会社ではありましたが、アメリカ人の社長でアメリカ人の取締役メンバーで経営されていたアメリカの会社でした。

こうしたアメリカの会社でしたが、日本語教室がきっかけで、社員たちは日本人に会うと「おはようございます」と言うようになっていました。日本語の挨拶や自己紹介には、日本から訪れた本社の社長やお客さまも、皆さんびっくりされていました。

■人を動かす

王先生から情熱的に教えていただいた経験は、こうして海外でも活かすことができました。情熱を持って相手に接すると、その熱は相手の懐に入って、相手を動かすことができるということを学びました。今でも「おはようございます」という言葉は、私が接した中国人もアメリカ人も忘れることはないと思っています。

 

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