日本の感覚は通じない〜言葉のコンテクスト

私たちが日本語を話す時や、日本語の文章を作る時は、日本と言う社会を前提として、文章や言葉にします。つまり、日本と言うコンテクストが日本語にはもちろんあるわけです。

私が中国にいた時、工場建設のためにいろいろな資材が現場に置いてありました。特に木材は、当時、現地では売却すればお金になるので、よく盗まれていました。当時、工事現場責任者の高田さんもとても頭を痛めていました。

そして、ある日、資材置き場にロープを貼って、張り紙をしました。そこには「ここの中にあるものは重要なものなので、勝手に持っていかないでください」と中国語で書いてありました。これは、まさに日本人的感覚だったようでした。
次の日の朝、その現場に行ってみると、中にあった木材資材はもちろん、ロープまでも盗まれていました。

わざわざ、「ここに貴重なものがある」と「貴重品」と表示することはあるでしょう。実際に、日本では、お財布や貴重品を落としても警察に届けてくれたり、落とし主を探して、届けてくれたりする文化があります。貴重品とわざわざそこに表示することによって、環境が異なる国々では、逆に、とても危険にさらされる可能性があります。

わざわざ「盗まないでください」と張り紙をして、しかも、囲っていたロープまで盗まれてしまったというのは、その後も笑い話になりました。

その国、その国によって、社会のルールや、歴史環境は違います。日本人的感覚で、日本語で日本人として考えると、前提条件が異なるので、現地の人にはおかしな風に映ってしまうこともあるのです。

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