私が思うに、多くの人々たちは、人生のほとんどを「やらされて」生きているような気がします。そう私に言われて、今、ここで意識してご自身を顧みてください。自らの意志で進んでやっていることは少ないのではないでしょうか。
職場では、定型業務と命令業務で、しかも期限がせまっていて、いっぱい、いっぱいだと感じています。そして、そういう人達は、だいたい仕事に追われていると感じているのです。
仕事は追われるから自分のヤル気がなくなるのではなくて、実は、自分にヤル気がないから仕事に追われるのではないでしょうか。実際、自分が懸命に追っている仕事は楽しく感じるし、追われている仕事はなんとも言えず苦しいものです。
それでは、自分が懸命に追いたくなることや、本気にさせるものは何なのか考えてみました。「やらされ感」ではなく、「必ずやるぞ」と思えるような自分を心から突き動かすものはいったい何なのかです。
私が思うに、自分を本気にさせるものは、ある種の熱い「使命感」ではないでしょうか。「私がやらなければ」、とか、「私しかできない」、「ここで何とかしよう」、という熱い気持ちです。
こうした「使命感」は、日々を無意識に過ごしていても自分の前には現れてきません。ただ、よく見渡せば、まわりには、そのきっかけがたくさん存在しているのです。それらは、ほとんどが自分以外に起因するものなのです。
何らかの出会いがあり、それがきっかけで、あなたの考えを変えて、そして「使命感」を湧き上がらせたことはありませんか。例えば、自分の周りを見てください。
・ひどい状況だ。でも誰もできる人がいない。みんなが期待している。私がやらなければ誰がやる。
・私になら彼らを手助けできるはずだ。彼らは本当に疲弊し困っている。何とかしたい。
・彼の問題を何とか私の力で解決してあげたい。彼一人では、とにかく荷が重すぎる。かわいそうだ。
・恩義ある人のために、ここは、何とか手助けしてどうしても恩返ししたい。
・この子のために、もっと良い仕事をして生活を安定させたい。幸せにしてあげたい。
・私になら彼らを手助けできるはずだ。彼らは本当に疲弊し困っている。何とかしたい。
・彼の問題を何とか私の力で解決してあげたい。彼一人では、とにかく荷が重すぎる。かわいそうだ。
・恩義ある人のために、ここは、何とか手助けしてどうしても恩返ししたい。
・この子のために、もっと良い仕事をして生活を安定させたい。幸せにしてあげたい。
「使命感」とは、まわりの人から自分に寄せられる期待感や、切なる願いを感じたとき、また、自ら、その人たちを見て、何とかしなきゃ、という気持ちが湧き上がったときに出てくるものです。それでは、なぜ、自分ではなく、他人からこうした「使命感」を感じるのでしょうか。
よくよく考えれば、そもそも、こういった「使命感」には、金銭的報酬など最初から何も期待していないはずです。自分で感じとり、自然と自分の心の底から湧き上がるこの感情の源はいったい何でしょうか。
感謝という単なる報酬を期待しているだけなのでしょうか。
・本当にありがとうございます。
・おかげで助かりました。とてもあなたに感謝します。
・あなたがいてくれて本当に良かった。
・君のおかげで大成功したよ。みんな喜んでいる。ありがとう。
・いつも、あなたがいてくれてうれしいよ。ありがとう。
・おかげで助かりました。とてもあなたに感謝します。
・あなたがいてくれて本当に良かった。
・君のおかげで大成功したよ。みんな喜んでいる。ありがとう。
・いつも、あなたがいてくれてうれしいよ。ありがとう。
人間は、感謝されると喜ぶようにできているそうです。そう、その仕組みは神様が作ったものなのです。ぜひ、そう思いましょう。そして、使命感を心の底から湧き上がらせてくれるこうした人たちとは、実は、あなたは、生まれた時から必ず出会う運命にあったのです。
神様がそう仕組んだのです。あなたは、彼らに出会うために生まれてきたのです。生まれてきた目的は、こうした人たちと出会うこと。これからは、そう考えることにしましょう。目の前にいる困った人たち、悩んでいる人たちを自分の力で何とか救いたい、心の底から使命感を湧き上がらせ、本気で取り組むのです。そこに金銭的な報酬など最初から期待していません。
こうして出会った彼、彼女のために何とか力を貸してあげようではないですか。これこそ、「出会えた運命に感謝」なのです。あなたに出会い、そして、私は使命感を湧き上がらせるのです。もう、やらされてはいません。仕事にも追われてもいません。自ら、心の底から湧き上がる使命感で誰かのために今日も頑張るのです。
・ありがとう。助かったよ。
・君がいてくれてよかった。
・君がいてくれてよかった。