20代のときに40代の先輩や上司を見ていて、「ああ、すごい年配な方々だなあ、でも大人だ。いずれ自分もああなるかもしれないが、それはずいぶん先だ」と思っていました。また、50代、60代の方々などは、別の人類のような気がしていて、自分がああなるなんて想像すらしていませんでした。体は外見とともに老化していきます。髪の毛にも白髪が増え、シワが増えて肌の張りもなくなってきます。
先日、椅子の修理を少ししようと思ってドライバーや接着剤を使って作業しました。しゃがんだり、立ったり、椅子を反対にひっくり返したりで、たいした作業には思えないのですが、かなりきつく感じました。このようなことですら、しんどくなっているだなんて…….。少々、ショックでした。加齢は、見た目以上に身体の機能にきていたようです。
しかし、こころはどうなんでしょう。こころは、からだのように老化するのでしょうか。こころは、たとえ老化しても、そもそも見えないので、一見、見ただけではわかりません。長年、いろいろな経験を経て、すっかり、多くの喜劇、悲劇を見てきたので、多少の事件が起きても、あまり驚かなくなることは老化でしょうか。20代、30代の方々も、もし、いろいろな経験や、ひどい苦労をしてきたのであればあまり取り乱したり驚くことはないと思います。
私が思うに、こころは、ずっとそのままのような気がします。私は、あの小学校の時の自分といまでも会話できます。「おい、宿題はしたのか。まあ、君は成績がいいし、先生にも気に入られているから、楽しくやって頂戴な。でも、中学に入るといきなりテストで順番つけられたりで大変だから、今のうちに遊んどけよ」と。
20代の自分は、仕事に懸命でした。「何とかしなきゃ」と頑張る君が、わたしに尋ねてきます。
「これでいいんでしょうか。私、簿記会計もぜんぜんできないのに経理とかやらされて、これからどうすればいいんでしょうか」「おいおい、そりゃ、あんたが悪い、大学の時に小池に代試を頼んだが、何しろ相手が悪かった。簿記が満点だったんだから。簿記以外はすべて60点、そりゃ、当然、経理配属だろ。自業自得。ただ、勉強すれば何とかなる。勉強の仕方も学べるしプラスしかないから。簡単ではないけど、苦労も後から思い出せば、楽しい思い出だから」
若い時にあったふわふわした不安や、針を刺されるような焦りの感情自体は今では感じることはありません。しかし、その記憶は鮮明にあります。
今、すでに老人の仲間入りした自分も、20年後の自分は、今の私にこう言うでしょう。
「まだまだ、これから。何でもできるから大丈夫。何とかなるから。とにかく精一杯生きて楽しんでくれ」と。
こうして、こころは歳を取らず、過去の自分、未来の自分と、いつでも会話ができます。こころが白髪のようにグレーになったり、しわしわになったりすることはありません。
私のこころは、ここにあって、これからも老化せずに、ずっと私と一緒です。