異文化コミュニケーションや英語学習について、これまで本を出したり、ブログで意見を述べてきました。「日本語が持つあいまいさ、コンテクスト」をできる限りなくした上で英訳しなければ意味が通じないということと、また、英語には、日本語のように行間を読んでほしい、察してほしい、といった構造はなく、書いてあることがそのままであるということを述べてきました。
日本語は、主語や目的語が無くても、同じ集団内で長年コミュニケーションしている間柄であれば通じるのです。そこには、過去の積み重ねという「コンテクスト」があるからです。
また、欧米が狩猟民族と言われるように、獲物を追って移動して生活していたのに対して、日本は地政学的にも、農耕民族として同じ土地で作物を育てるため、移動は当然少なく、同じところに住み続けるのです。
これは、職場も同じでいったん就職したら、同じ職場に長年いるのです。ですから、同僚や上司も職場にも長く勤務しているので、お互いに蓄積された情報をもとに普段からコミュニケーションしているのです。あたかも、長年連れ添った夫婦のようで、「あ〜」といえば、「こう〜」と「阿吽(あうん)」の呼吸で通じ合えるのです。結果として、自分が話したり、書いている日本語も気がつかないうちに省略だらけになっているのです。
先日、私のITの先生とお話しする機会がありました。先生は、多くの企業のIT部門に対するセミナーを数多く開催されていらっしゃいます。セミナーに参加してくる方々の多くは、情報システム部の責任者やメンバーたちです。
先生曰く、参加者の日本語の意味がよくわからない、体言止めで中途半端に簡単に書いてあるので 「何が言いたいのか、本人が伝えたいことも伝わってこない」と 嘆いていらっしゃいました。
たしかに、情報システム部ともなれば、きちんとした日本語(ことば)で、開発ベンダーに伝えなければいけません。「日本語が上手に使えなくて、一体どうやってDXをやっているんだろう」、とおっしゃっていました。
確かにその通りで、日本語で上手に表現できない限り、多くの開発者にはなかなか正確に伝わりません。古き昭和時代のA4 用紙1枚に、箇条書きに簡潔に書くようにと、上司から言われていた時代は紙を印刷して配布していました。ですから、必然的に 1枚の用紙にびっしりと文字を詰め込み、そのために、省略や、漢字熟語、体言止めを多用していました。
現在では、紙で印刷すること自体が非常に珍しく、また、会議でもスクリーンに映し出してプレゼンテーションするというよりは、TEAMSやZOOMといったリモートツールを使って会議をすることの方が多くなっています。
もしそうであれば、プロジェクターで映し出すことも必要なく、印刷も気にすることはありません。文字の大きさは、大きくする必要はなくて自分のパソコンのスクリーンで読めれば良いですし、印刷する必要もないので、枚数を制限する必要もありません。
ただ、過去の昭和の習慣に取り付かれている方々がいまだに数多くいらっしゃるのでしょう。箇条書きで体言止めで、簡潔に漢字熟語で書いて、同じ職場の同僚に伝わればいい、という普段の調子でレポートを書いてしまう方々を見かけます。
もし外部の人間に対して何かを説明するのであれば、そうした省略は極力避けなければいけません。お互いに過去に蓄積された情報がありませんから、そもそものところから書いて、きちんとした日本語で説明しなければいけません。
日本語の主語や目的語の省略や体言止め表現といったことを話すにつれて、異なる言語として、英語のことも考えざるをえません。英語は、そこに書いてある通りで、複数の意味を持つ漢字もないし、コンテクストも日本語ほどありません。日本人である私は、英語で書く文章は、できるだけ細かく書くようにいつも意識しなければなりません。
英語はそもそもがアルファベット26文字だけで何かを伝えなければなりません。そのためには、詳細に書かなければ相手には伝わりません。こうした文化的背景があるからこそ、IT産業がアメリカで発展したのではないかと私は考えています。
つまり、書いてある通りですから、開発エンジニアもそれを読んでその通りに具現化すればよいだけなのです。こうして考えると、私たち日本人は、ITの分野に関して、日本語を使う限り、英語よりはずいぶんと不利なのかもしれません。