相手に被せて話をしても良いラテン文化

 イタリア本社の日本子会社で働いていた時に、イタリア人と会議をすると、しばしば、会議は想定していた議題どうりに進まなかったり、こちら側の話が十分に出来ない場合がありました。特に、日本側の意向が伝えられないのは、文化的な会話のパターンが影響していると思っています。

 ある時、イタリア人に尋ねました。「イタリア人は、とにかく、よく喋りますが、相手が話している時に、話の途中で割り込んで話すこともありますね。それは、イタリアではマナー違反ではないですか。日本では、最後まで相手の話を聞いてから発言しないと、たいへん失礼になりますが。」と尋ねたところ、「いえいえ、相手が話している時に、被せて話すことは、その話に興味があるということで、悪いことではないよ。私たちは、そういうことがよくありますよ」と答えました。

 私の同僚であるA君は、プロジェクトに欠員が2人ほどいて、プロジェクトがなかなか計画通り進められないと言うことと、人員補充の提案をするために、ビデオ会議をイタリア本社のプロジェクト責任者に申し込みました。仮に採用が遅れた場合には、システムの切り替えのタイミングを遅らせてほしい、ということも伝えるつもりでした。明かに、2名が退職して欠員となっているから、話は簡単に進むだろう、必ず、わかってもらえるに違いないと彼は考えていました。

 しかし、会議では、イタリアのプロジェクト責任者は、いかにこのプロジェクトが重要で、自分たちが素晴らしいのかを一方的に延々と熱く話し始めました。17時からはじまったビデオ会議は、すでに18時になろうとしています。

しかし、いっこうに、自分たちが主張したかった「日本側での担当者不足」の話ができず、そして、「切り替えタイミングを遅らせる」話にもなりません。むしろ、新たな課題を次々に出されてしまい、早くこれらをやってほしい、とまくし立てられました。結局、最後まで自分の議題が切り出せず、そのまま時間が過ぎてしまいます。

そして、18時20分になったら、イタリアの責任者は、次の会議があるから、と言って、さっさと会議が終わってしまいました。結局、彼は自分の主張ができず、問題は何一つ解決しないままです。

この話に関連して、異文化での会話パターンというものを見つけました。こうしてみると、各国の文化差が出てますね。黒い線がAさんとBさんの会話時間を示しています。


アングロサクソン型は、アメリカやイギリスのことで、相手の会話が終わってから、直ちに自分の話が始まります。一方、ラテン型は、相手が話していても、お構いなしに、相手の話に重ねて自分の話を始めます。そして最後に東洋型ですが、日本のように、会話と会話の間に、いわゆる「間」があります。
(*出所:Riding the waves of culture, (2001) F.Trompenaars, C.Hamden Turner) 

こうしてみると、イタリア人には話は最後まで聞かなくても良いということがわかります。逆に言えば、相手の話は聞かず、話の途中であっても、話を切り出さなければならなければならないという、私たち日本人には、少々、疲れる文化なのです。ですから、上述したA君の場合は、遠慮せず、話を無理やり割り込ませて主張しても構わなかったのです。

一方、日本には、いわゆる「間」というものがあります。この「間」も会話の一部で、相手に空気を読み取らせて会話が成立します。つまり、文字や言葉に出さない「空気」です。ですから、話は最後まで聞かないと大変失礼しなります。

日本人としては、話を割り込ませて主張し続なければならないので、イタリア人との会議はとにかくたいへんなパワーを使います。話をマイペースで続けて、途切れさせないイタリア人に対して、効果的な戦略は、事前に主張したい内容を、簡単な箇条書きではなく、「非常に詳細な背景や理由を書いて」事前に報告書として送りつけることです。

今の組織や担当者の業務内容、現在プロジェクトが抱えている困難なタスクなどを詳細に書き出した上で、「人員が足りず進められない」と主張することです。相手は、あなたのことを察することはしないので、とにかく、文字や数字に詳細に落とすことです。

アナログな日本的な曖昧な書き方ではありません。面倒ですが、詳細に手を抜かず、デジタルな表現をすることです。当然、量も多くなりますし、準備時間もかかります。しかし、そうすることで、だいたいの場合は、面倒な会議をせずとも、相手からのメールで、「増員してもいい、プロジェクト延期も同意する」といった内容のメールがくるものです。

 

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